東京を知らない - 太宰治「メリイクリスマス」を読んで…

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東京を知らない

ここは京都だ。京都駅のすぐ近く。京都タワーは見えない。駅ビルがじゃまをしているからだ。そう、ここは京都駅の南側。ベランダから東寺の五重塔が見える。先端の一部だけどね。

と書けば、なんとなくとした情景が浮かんでくるのでは?

テキトーにそれらしき文章を書いてみた。たった3行だ。京都という地名だけで、音の響きや漢字の形などから読み手のなかに映像が浮かび上がってくる。あなたの頭のなかにあるイメージは見えない。ひとつだけ言えるのは、あなたとわたしのそれがが異なるだろうってことだ。

 東京は、哀しい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行に書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。

太宰治の掌編「メリイクリスマス」の舞台は東京だ。引用したのは冒頭部分。わたしは京都以外の土地で住んだことがないが、東京という言葉に対して何らかの印象をもっている。でも、東京在住の人とはちがう東京像だ。それは北海道に住んでいる人、沖縄に住んでいる人でもいい。同じ東京都に住んでいても、だれひとりとして同じ東京像をもっている人はいない。

太宰治の「メリイクリスマス」はかなり前に一度だけ読んだことがあった。たしか、新潮文庫の短編集「グッド・バイ」に収録されていたように記憶している。「グッド・バイ」は太宰治の未完の遺作だ。太宰治は1948年に愛人といっしょに玉川上水にとびこんで自殺した。

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ここで、小説の構造分析を繰り広げるつもりはない。内容にもふれない。「メリイクリスマス」を読んで、ふと思いついた寄り道の思考をつづっていく。うまくまとめようなんて気持ちはさらさらない。

なぜ、京都の話を出してきたのか?

それは「メリイクリスマス」の冒頭に書かれた東京が、それぞれの読み手で異なったイメージをもっているのではないかと思ったからだ。小説では最初に、小説で書かれている世界を描写をすることが多い。書き手は読み手を小説の世界に引き込まなくてはいけない。読み手はそれを読んで、どのような世界なのか、映像を頭に思い浮かべる。

「メリイクリスマス」の冒頭はこんなふうに続いている。

 と私は田舎の或るひとに書いて送り、そうして、私もやっぱり何の変るところも無く、久留米絣の着流しに二重まわしをひっかけて、ぼんやり東京の街々を歩き廻っていた。
 十二月のはじめ、私は東京郊外の或る映画館、(というよりは、活動小屋と言ったほうがぴったりするくらいの可愛らしくお粗末な小屋なのであるが)その映画館にはいって、アメリカの写真を見て、そこから出たのは、もう午後の六時頃で、東京の街には夕霧が烟のように白く充満して、その霧の中を黒衣の人々がいそがしそうに往来し、もう既にまったく師走の巷の気分であった。東京の生活は、やっぱり少しも変っていない。

「メリイクリスマス」が書かれたのは1946年。昭和でいえば21年だ。その当時の東京がどのような様子であったのか、もちろん知る由もない。久留米絣の着流し、東京郊外の或る映画館、午後の六時、師走の巷……。昭和21年を現在進行系で生きていた人が描く映像とはまるでちがうはずだ。

検索すれば、当時の白黒写真がヒットする。ただ、写真の被写体は静止している。動いているものなら映画だ。戦後まもない頃の邦画はモノクロだが、当然、現実の世界はカラーだった。カラフルな昭和21年の東京。どんな感じだったのだろう?

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先日、このような記事を読んだ。タイトルは……「わかる」という誤解、「わからない」という救い──最果タヒ『天国と、とてつもない暇』。単に書評という枠にはおさまりきれないコラムだ。ふむふむと頷きながら、じっくりと読んでしまった。

途中の見出しにこんな一文がある。「わかりやすい文章を書きましょう」。Web上の問題としてよく挙げられる「わかりやすい」文章について、「文章を書いて(一応)生計をたてている」立場で書かれている。ぜひ、一度、目を通してもらいたい。そういえば、以前、最果タヒがインタビューで「わからないものが面白い」と語っていた。

小説(現代詩)に「わかりやすい」という観点を入れ込むのは(時と場合によるが)あまりよくない方向だと、個人的には思っている。Webのコラムよりも小説(現代詩)のほうが高尚だからといった、そんな理由ではない。言ってしまえば、どちらもただの文章だし、上も下もそんなくだらないヒエラルキーは存在していないのだ。

このコラムで引用されているZazen Boys「Kimochi」。いい曲だ。2004年にリリースされた1stアルバムに収録されている。スタジオ盤よりLIVEのほうがさらに熱量がデカイ。以前、TV番組「僕らの音楽」で向井秀徳椎名林檎とコラボしたときの「Kimochi」はエロかった、実にエロかった。

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「わかりやすい」文章って、呪文みたいなものかなと。それを言ってりゃ、幾ばくではない人たちを騙すことができるし、納得させられもする。でも、誰もその呪文を説明できない。単に、唱えていればいい。呪文に意味など求めたりしない。便利だけど、不思議な言葉だ。

貴様に伝えたい!なんて歌ったとしても、相手にどれほどの思いが飛んでいくのかは不明だ。言葉には100人の読み手がいれば100通りの情景が存在している。書き手と読み手が情報を共有するなんてテレパシーをマスターでもしなければありえないことだ。書き手はせいいっぱいの思いをこめて文章を形づくり、能力限界の熱量(もしくはクール)で飛ばす。それだけのことだ。

著名な作家がWebに匿名で自分の小説をアップしたとして、はたしてどれくらいの人がその作品がスゴイと気付くのか。だれか試してくれないかと思ったりする。イラストや音楽よりは身バレする確率が低そうだ。ふだんから日本語とは嫌というほど毎日毎時間毎秒、相対している。それでもその程度だ。人間すべてがエスパーではない。小説に限らず、文章を読み取るには少なからずのスキルが必要とされる。それが言語の宿命ってやつだ。

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2018年12月23日、東京タワーは60周年をむかえた。お祝いイベントで、野宮真貴ピチカート・ファイヴの代表曲「東京は夜の7時」を披露したようだ。この曲、東京タワー開業60周年記念ソングだったらしい。そういえば、リオデジャネイロでのパラリンピック閉会式でも「東京は夜の7時」のカバーがつかわれていた。

「メリイクリスマス」の語り手はおそらく太宰治がモデル。女にだらしない典型的なダメ男として描かれている。太宰治も自覚していたのか…。もしかしたら、リアルの太宰治は周囲の女たちから「わかりやすい」人と囁かれていたのかしれない。ありそうな話だ。もちろん、本当に「わかりやすい」人なんてどこにもいない。東京という言葉に対するイメージといっしょだ。太宰治が自分をどのような人間であると思っていたのか、それはまったくの謎でしかない。太宰治自身がわかろうとしていたのかどうかも含めて。

60歳、人間でいえば還暦だ。東京タワーが生まれたのは1958年。昭和でいえば33年だ。「メリイクリスマス」が書かれた頃、まだ、東京タワーは存在していなかった。戦争が終結したのは前年の1945年。1958年の年表にはGHQの3文字があふれかえっている。東海道新幹線も、1964年のオリンピックも、その影すらなかった。「メリイクリスマス」の東京には、東京の空には東京タワーがなかったんだ。

「わからない」ままでいいじゃない。
「わからない」を楽しみましょ(甘えるのはダサいけどね)。
「わかりやすい」に縛られるのは窮屈だよ。

そう、太宰治は東京タワーを知らない。

見たこともなかったんだよ東京タワーを、太宰治は。

 

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引用:太宰治「メリイクリスマス」(青空文庫

 

 

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要は「読みやすい文章」を全肯定の褒め言葉として捉えてないってこと。
ものすごく単純に言えば、そういうこと。