ねむいね

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(無題)- ある小説の冒頭

 

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セミの声たち

こちらで読めます。

hametuha.com

 

この文章を初めて書いたのは20代の頃だった。

冒頭だけつくって、その続きがまるで思いつかなくて、ずっと放置していた。

小説の文章を考えるのはとても辛い時間で、今でも「小説を書くのが楽しい」と言える人がとても羨ましくて仕方がない。いつも、自分をぎりぎりまで追い込んで、追い込みまくって、うんうんと唸りながらキーボードを叩いている。

つまりは苦行だ。

自らを苦しみに陥らせて、何か得や徳が得られるのかというと、まったく、そういうわけではない。小説を書くようになったきっかけはなかった。おそらく10代の後半だった気がするけれど、明確な理由など何にも覚えていない。

この世に生を受けたときからの使命みたいなものだと思っていた。

これは過去形だ。20代の頃はそう、自分に言い聞かせていた部分もある。そうしなければ、頭と身体のバランスが壊れてしまいそうに思えた。

たまに、ほんの稀に、素敵な言葉を捕まえられる瞬間がある。

よく、天から降ってくるとか、キャラが勝手に話し出すとか言う人もいるみたいだけど、自分の場合は違う。

自分の中から言葉やフレーズが出てくる。

で、その源を、セミの声たちを名付けた。そういう具合に「ある小説の冒頭」がつくられた。いわゆる、メタ小説っぽい発想だ。小説の文章を考えているのは「いったい何なの?」って主題に絞った話だ。

登場人物はいない。ただただ、内なる世界の描写が綴られていくだけである。当然、こんな文章が小説として成立するわけもなく、ずっと、テキストファイルとしてUSBのメモリーカードや外付けHDやらに保存されてきた。

数年前に、ある雑誌に原稿用紙60枚程度の小説を掲載できる機会があり、「ある小説の冒頭」を引き伸ばしてみた。決して、成功とは言えない出来栄えだったが、まあ、とりあえず形にしたという満足感はあった。

 

 

こちらの雑誌だ。たぶん、もう在庫はないんじゃないかな……。

小説を考えている自分の精神意識。言葉の源泉はどこに存在するのか。形のないぼんやりとした言葉以前のものを言語化するまでの過程。などなど。

このテーマは、もう一度、試してみたいとは思っている。

 

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前世。
そういうものがあるかどうかは分からない。でもね、20代の頃に感じた「小説を書きたい」と切に念じてた情熱は前世から引きずっているのかも……と思うときが多々、あった。

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志村正彦
彼は中原中也の生まれ変わりなんじゃないかな?
そう思っている人は少なからずいるよね。風貌や醸し出す雰囲気とか、亡くなった年齢とか。ふたりに共通するのは希有の才能を持った詩人であったってこと。

 

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生まれ変わり。
もし、自分が誰かの生まれ変わりで、今は気付いてないけど過去に存在した人の念を引き継いでいるとしたら、その人はきっと「6」という数字にこだわりがあったのかなと思う。やたらと「6」に縁があるんだよね。

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素数は孤独な数字。
すべてがFになる」で、真賀田四季博士が「1から10の数字で、7だけが孤独な数字」と言ってた記憶があるんだけど、この記憶で合ってる?のかな?

 

 

三 タイムマシーン

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トムライ

こちらで読めます。

hametuha.com

 

上の説明部分にも書いたが、この小説は第9回海燕新人文学賞の最終候補に残った作品の一部だ。ウソじゃない。怖いことにその痕跡が残ってる。受賞作ならwikiにも記載されているが、最終候補作とその作者名まで載っているサイトがあるのだ。

prizesworld.com

ここの第9回。応募総数1205。最終候補のいちばん下に書いてある名前がわたし。まじ、怖い。当時はインターネットなんて普及していなかったし、おそらくは受賞作掲載号ぐらいしか資料がないはず。こんなことまで残されてるとはネット社会の知、すっごいわ。

作品名は「トムライ」。その第3章にあたる部分を破滅派にアップした。作品そのものは原稿用紙換算で100枚弱。小説公募の条件としては現在の文學界新人賞に近い。「トムライ」は文章だけでなく3つぐらいの図まで入れていた。確か、別にプリントアウトしたものをワープロ原稿の上にノリで貼った記憶がある。超アナログだ。

さて、ここからが本題。

最終候補に残ったときは編集から電話がかかってきた。ウソだろ……が正直な感想。いたずら電話かと思った。で、最終選考の日を伝えられ、呆然としたまま受話器を置いた。お家の電話は黒電話だった。それから、スケジュール帳の日付に印をつけた。

選考当日、そわそわしていた。たぶん、夕方から夜にかけてだろうと予測して、そわそわしていた。アルバイトの日だったので、お家に電話が来ているのかどうか帰宅するまでわからなかった。スマートフォンどころか、携帯電話も持っていなかったからね。

電話はかかってこなかった。

それから、受賞作掲載号が発売されるまで、もんもんとした気分で毎日を過ごした。初めて最後まで書ききった小説だった。どこが良かったのか、どこがダメだったのか、まったくわからなかった。小説をだれかに見せたこともなければ、小説を書いていると言ったのも極く少数の友人だけだった。

掲載号が発売された日、隣の駅にある本屋まで急いで向かった。最終候補にまちがいなく残っていた。不思議な、そう、雲の上に浮かんでいるみたいな感じだった。すぐに買って、選評を読んだ。ある選考委員がこんなふうに書いていた。心象風景から逸脱していない。その通りだわ。田中小実昌さんだけが褒めてくれていた。

もしかすると、この筆者はひょいと化けるかもしれない。ニンゲンではなく地球のことを書いているのはおもしろい。

そんな文章だった。背筋がぴんと伸びた。レイモンド・チャンドラーの翻訳している人ですよ、あなた。「アメン父」や「ポロポロ」などの名作を書いている人ですよ、あなた。感動しないわけないですやん。

この言葉を首からぶらさげて、小説を書いた。30歳までに何かの賞に引っかからなければ……という強い決意を心に秘めて、夜な夜な、内なる自分へ奇声をあげながらワープロを叩き続けた。

でも、ずっと、なぜ、最終候補に残ったのか、なぜ、受賞できなかったのか、まったくわからなかった。それは今でも変わらない。何度も何度も自分の作品を読み返した。それでも何ひとつ掴めなかった。今でも、ホントにわからない。

 

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受賞したのは松村栄子さんと角田光代さん。ふたりはその後、それぞれ芥川賞直木賞をとった。同じ年の同じ新人賞で、ふたりともが受賞するのはとても珍しいことだと思う。運が良かったのか悪かったのか、これまた、よくわからない。

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松村栄子さんには何年か経った後に松村さんがつくっていたサイトからメールを送った。松村栄子さんはすでに芥川賞を受賞した「至高聖所(アバトーン)」を発表した後だった。新人賞受賞作と一緒に文庫化されている。これ、「僕はかぐや姫」の文庫本(福武書店)と同じ表紙なんだよね。上條淳士さんのイラスト。たぶん、これ、完全に松村さんの趣味なんだろうな。かっこいい!

 

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松村栄子さんは京都に住んでいる。いつか、お話できたらいいな、と思っている。松村栄子さんのTwitterはこちら。実は松村さんのサイト、まだ残っている。あまり更新されていないようですし、ここには書きません。

twitter.com

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角田光代さんはもう触れるまでもないよね。超にドが付く売れっ子。「八日目の蝉」は映画も良かった。あのクライマックスシーンは何度見ても泣ける。永作博美の演技は最高だし、ダサい服着てもダサくならない井上真央がすごい。欠点を挙げるなら、井上真央の不倫相手が劇団ひとりってぐらいだ。それだけは理解に苦しむ。