「0から1」を生み出す人と「1から10」に広げる人

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0 1

とりとめないまとまらない話をしよう。

とりとめない、まとまらない、この2つをつなげるとなかなかカオスな日本語になる。そう思っただけの1行目だ。当然のごとく、結論なんてものもない。安っぽい気付きなんて求めちゃいけない。

 

話の始まりは演劇だった。高校から大学にかけて演劇をやっていたという方の話を聞いていた。某SNS上でのことだ。仮にその方をAさんとしておこう。演劇はうわべどころか詳しくも知らないからとても興味深かった。

途中、Aさんが「0から1」を生み出すのはものすごく大変なことなのよ、と言った。わたし(Aさん)は「1から10」を広げる人だから、「0から1」を生み出せる人の思考が理解できない。そんな感じのニュアンスだった。

あぁ、そういうものなのかな?

SNS上では少なからず弾き語りをやっている人がいた。大半はカバー曲を歌っている。オリジナル曲を演奏する人の数が圧倒的に少ない。そんな話の流れから出てきた「0から1」を生み出すのは大変なのよ、だった。

あぁ、そういうものなのかな?

と、立ち止まり、ふわふらとふらふらと思いを巡らせてみた。

例えるなら、「0から1」は楽曲をつくる人、「1から10」は編曲家や歌い手さん。オリジナル曲をするバンドは前者で、コピーバンドは後者。演劇なら、脚本家が前者で、演者は後者。

実際はまったく無の「0」から何かを生み出すわけではない。そんなのできたら、みんな、創造主になれちゃう。あくまでも過去の作品から影響を受けた上での「1」だ。「0」は思考するための喩えで、純粋な数学的「0」とは異なる。本当は「0.1」や「0.7」とかそんな曖昧な時点から「1」をつくっている。

その喩えを採用すれば、「0から10」まで自分ひとりでやっちゃう人もいる。すべての楽器を自分ひとりでやりましたよってクレジットしてるPrinceあたりがわかりやすい例だ。天才中の天才は稀なので除外しよう。もっと身近な、音楽で言えば、パソコン内で完結させるDTMerあたりも、まあ、すべてやっちゃう系に入ってくる。

スキル(テクニックや知識に置き換えてもOK)を身につけてから「0から1」を生み出す人に変わっていく人もいる。まあ、誰でもスタートは初心者だ。モーツアルトだってそうだった。「今日からギターを始めてみました、まずは曲をつくってみましょうか!」なんて人は限りなくゼロに近い。スキルは表現を広げるには必要不可欠なものだし、決して疎かにしてはいけないものだとは思う。

それでも、下手っぴだって、ピアノ始めて2週間くらいの人であったとしても、その時点でのスキルに合わせたオリジナルっぽい曲をつくってしまう人もいる。

勘違いしないで欲しい。「0から1」と「1から10」。どちらが偉いとか賢いとか、そういう話ではない。「0から1」と「1から10」を優劣で語るのはとっても不毛で、とっても馬鹿げた論議だ。

ただ、「0から1」と「1から10」の視点が芸術全般に当てはまる話かな、と思ったんだよね。めちゃくちゃざっくりとした言い方になので、かなり乱暴な切り口であることは承知しているけど、まあ、当てはまるよね、と。

大学時代、音楽サークルに所属していた。自分が通っていた大学だけでなく、他の大学とも交流があった。大学生の頃はコピーバンドばかりやっていた。それだけで満足していたし、ものすごく楽しかった。有意義であったかどうかは別だけどね。

卒業して、社会人になって、バンドをやり続ける人が減った。もう、激減した。で、落ち着いた年齢になった頃、また、バンドを再開する人が増えた。お仕事に慣れたとか、子育てが一段落したとか、そんな理由が大半だった。

再開したバンドの大半はコピーバンド。しかも、大学時代に演奏してた楽曲をもう一度、やってみようか……みたいなバンドが多かった。その様子を傍から眺めていて、なんだかなぁ……と無性に居心地のわるい感触を受けた。

自分はと言えば、オリジナル曲しかやらないバンドをやったり、DTMで打ち込み系の音楽をつくったりしていた。思えば、大学時代、ものすごく下手だったけど、オリジナル曲をやりたくて仕方がなかった。オリジナル曲をやる、そんなことに分厚くて高い壁があるのを感じていた。

まじで、とりとめないまとまらない話になってきたな、これは。

 

いま、自分の中にあるモヤモヤは「0から1」を生み出すって、そんなに難しいの?

 

そんなシンプルな疑問だ。難しいという表現がいまひとつな気はする。疑問といっていいのか分からないくらいのクエスチョンマークだ。なんで、みんな、やらないんだろう?そんな「?」。

「0から1」。

ものすごく楽しいと思うんだけどな。生み出す過程が楽しくて仕方がないんだけどな。いろいろと模索しながら、ああでもないこうでもないと独り言をつぶやきながら、回り道なお試しをする。それがいちばん楽しいんだけどな。

 

どうなんでしょ?

 

このあたりで、とりとめないまとまらないなんの役にも立たない話、おしまい。

 

 

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0と1といえば、このマンガ。連載がスタートしたのは1984年。そう、AppleMacintoshを発売した年だ。まだ、パーソナルコンピューターなんて概念が浸透しておらず、マイコンのほうが優勢だった時代にデジタルと神を結びつけてしまった世界観。時代を先取りどころか、未だに追いついていない気がする。

サイバーパンクを取り入れた先駆者だったんだと思う。

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基本、このようなブログは思いついた文章を垂れ流している。めったなことでは修正したりしない。日記ではないので、ノートに走り書きしたメモの延長戦上にあるものだ。誰かに何かを伝えたい。そんな思いはさらさらない。単なる戯れ言にすぎない。ブログって、そういうものでしょ、本来は。と、思っている。