誤謬(ごびゅう)なんて単語、生まれて初めてつかったよ。
タイトルはドイツの哲学者、ニーチェが残した言葉だ。名言が載っているサイトなどでは『音楽なしには生は誤謬となろう』と書いてある。ちょっと堅苦しい感じだ。なので、少し崩してみた。英語だと、
Without music, life would be a mistake.
になるらしい。
誤謬とは単純に言うと「まちがい」のことだ。英語でも「mistake」と訳されている。『音楽がなければ、人生はまちがいになる』。これだと、ちょっと名言っぽくない。漢字の破壊力は絶大だ。特に、難しい漢字は強烈な印象を与える。だから、あえて、誤謬という、普段なら絶対につかわない単語を残しておいた。
さらに崩せば、『音楽あらへんかったら、人生、つまらないんちゃうかぁ』あたりだろうか。もしくは、『音楽のない人生なんて考えられへん』と言い換えてもいい。どうであれ、この名言、かなり同意する。自分の話としてだが、音楽なしにこれまでの人生ってやつを語ることはできない。いつも、音楽が側にいた。それは紛れもない事実だ。
スキな3曲を熱く語る。
これまでに数多くの音楽を聴いてきた。どれぐらいの数なのかなんて想像もつかない。タイトルやアーティストを思い出せない曲は腐るぐらいある。サビの1フレーズとか、イントロの部分とか、そんな一部分だけが頭に焼き付いている曲だって、ホントに数えきれないくらいある。
スキな曲はその時々によって移り変わる。今日一番スキな曲が明日になったら別の曲に変わっていても不思議ではない。どちらかといえばそれがふつうだ。通常の毎日だ。ヘタすれば、その日の朝と夕方でも変わってしまうこともある。毎時間、毎分、その瞬間でスキな曲のマイリストは動いている。
スキな3曲を熱く語る。
タイトルにニーチェの残した言葉を出したので、それに合わせてスキな曲を挙げてみようと思う。ニーチェに特別な思い入れなどまるでない。物事のついでだ。かといって、いい加減には選んだわけではない。じっくりと、考えてみた。デタラメなつながりから面白い偶然が出てくる。そんなこともある。幾度もそんな経験をしてきた。そういうの、きらいじゃない。どちらかといえば、結構、スキだ。
THE COLLECTORS - 世界を止めて
『神は死んだ』
たぶん、ニーチェが残した言葉のなかで最も有名なのがこれかもしれない。音楽の脈略なら、ジョン・ライドン(当時はジョニー・ロットン)がセックスピストルズ脱退後に「ロックは死んだ」発言とつながると言えばつながってくる。
THE COLLECTORSの「世界を止めて」は1992年にリリースされたシングル曲だ。THE COLLECTORSは当時、ネオGSやネオモッズの流れから登場した記憶がある。
92年の日本はバブル崩壊の時期だった。音楽業界もその波を受けて、多くのバンドが消えていった。THE COLLECTORSは現在でも活動を続けている。メンバーチェンジはあったが、中心人物である加藤ひさしと古市コータローのコンビは健在だ。今もモッズスタイルを貫いている。
「世界を止めて」はTHE COLLECTORSの代表曲のひとつと言っていい。いや、90年代の邦楽ロックバンドが発表した曲の中でもベスト10には入るのではないだろうか。ユニコーン「すばらしい日々」やTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT「世界の終わり」、THE YELLOW MONKEY「JAM」、スピッツ「空も飛べるはず」あたりと比べてもなんの遜色もない。
「世界を止めて」はストレートなラブソングだ。特に大きなひねりもない。キスとか、抱きしめてとか、遠い空とか、星とか、まあ、取り立ててつまむほどの言葉が歌詞につかわれているわけではない。ただ、サビで、神様に時間を止めて、世界を止めて、なんて、相当ムチャなお願いをしている。頼まれる側のことなど、てんで考えていない。
まあ、気持ちは分かる。君しか見えていないのだから、仕方がないといえば仕方がない。でもね、神様にも立場ってものがある。あんまりムチャクチャなお願いだと、せっかくの頼みごとも無視されるかもしれない。いや、無視ならまだいい。神様に死んだふりされたら、それこそ、世界中が困ってしまう。
もし、神様にお願いをひとつするなら、あなたなら何にする?
Louis Armstrong - What A Wonderful World
『永劫回帰』
『永劫』とは限りなく長い年月、『回帰』とは元にあった位置や場所に戻る、といった意味だ。この2つが合わさった『永劫回帰』は、宇宙は永遠に同じ繰り返しを循環していくのだから、人間は今現在の一瞬を大切にして生きるべきである、にならる、らしい。
らしい、だ。
これ、個人的な感想になるのだけど、『永劫』と『回帰』の結びつきというか、論点の矢印というか、今ひとつ成り立っていない気がする。ニーチェは来世、つまりは輪廻転生を否定していた。でも、宇宙が繰り返しを続ける。これ、おかしくないか? 宇宙が永遠に繰り返すなら、その一部である人間も繰り返していてもおかしくないと思うのだけどな……。
まあ、いい。
Louis Armstrongの「What A Wonderful World」。歌詞はとってもシンプルだ。緑の木々があって、ぼくと君のために赤いバラが咲いているとか、青い空と白い雲があって、などなど。で、最終的には歌のタイトルにあるように「なんて、素晴らしい世界なんだ」と歌っている。
テリー・ギリアム監督の「12モンキーズ」ではエンディングにこの曲がつかわれていた。モンティ・パイソンのメンバーでもあるテリー・ギリアムなので、決してハッピーな終わり方ではなく、ストレートな歌詞にもなにやら深い意味が隠されているように思えてくるから不思議だった。
「なんて、素晴らしい世界なんだ」
映画の世界では、人為的にばらまかれたウイルスによって人類の99パーセントが死滅した未来が描かれていた。テリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」もそうだったし、スタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」にも当てはまることだけど、ディストピアな映画の音楽って心地よい曲が多いんだよね。
映画「12モンキーズ」の主人公ジェームズ・コールは幼い頃に見た空港での男が自分自身であったことに気付く。要は、コールは過去から未来へとループを続ける運命だった。幼い頃の記憶がある限り、コールは空港で息を引き取らなければならない。ゆっくりと動くメリーゴーランドみたいにだ。1周すれば、コールはまた空港で警察官に銃で撃たれる。
「なんて、素晴らしい世界なんだ」
もう、最高の皮肉としか思えない選曲だ。
Moby - We Are All Made Of Stars
超人
もう少し、マシな日本語訳なかったのかな? 日本語の「超人」だと、どうしても悪役っぽい響きに聞こえる。英語なら「superman」か。こうなると、完全にクリプトン星からやってきたクラーク・ケントだ。個人的にはヘンリー・カヴィルよりクリストファー・リーヴの方が印象に残っている。ジェンダーレスの現代なら「superhuman」の方が適切なんだろう。いずれにしても、イメージとしては異星人やモンスターって感じが抜けない。ニーチェの言う「超人」とは少し、いや、かなり異なっている。
「超人」とは人間を超えた人間のことらしい。漢字そのままの意味であるとも言える。思いっきり説明を省いているのでこれでご勘弁願いたい。つまり、「超人」は人間だ。神を越えた人間を指し示している。このあたりで上に記した「神は死んだ」とつながる。「超人」は絶対の指導者で、民衆は服従するしか選択肢がない、とされている。
ある意味、怖い思想だ。ねじ曲げて、支配する立場側が都合のいいように解釈をしてしまうと、シビリアンコントロールの餌にされそうだ。実際、過去の歴史ではそれに近い出来事が、悲しい出来事が起こった。
Mobyの「We Are All Made Of Stars」。最初あたりの歌詞を意訳すると、こんな感じだ。
数が増えている
速度が増している
未来とは戦えない
目に見えるものには逆らえない
この曲はアメリカ同時多発テロ事件の翌年にリリースされた。当時、Mobyはニューヨークに住んでいた。歌詞はこんなふうに続く。
民衆が集まってる
民衆がバラバラになる
もう、誰にも止められない
なぜなら、ぼくたちは星でつくられているのだから
もし、ぼくたちが星でつくられているなら、もうそれだけで「超人」なんじゃないかと思う。地球がひとつの生き物だというガイヤ理論がある。科学者ジェームズ・ラブロックによって提唱された。この理論(当時は仮説)は現在のSDGsに大きな影響を及ぼした。もしかしたらの話だけど、手塚治虫の傑作「火の鳥」だって異なった物語になっていた可能性まで考えれる。
そんなガイヤ理論を拡大解釈してみる。
宇宙もひとつの生き物だ。
それほど飛躍した話ではないと思う。宇宙の定義がどこからどこまでを指し示しているか、そういう細かい話は抜きだ。星の一部に人間が含まれているなら、「ぼくたちは星でつくられている」と高らかに歌っても、磔にされる心配はないだろう。
2006年にこんな発表があった。マウスの脳内の神経細胞(ニューロン)の画像と宇宙をシミュレーションした画像を並べたら、とても良く似ていたという記事だ。怪しげなタブロイド紙の記事ではない。8月14日付のニューヨーク・タイムズで発表された。
やはり、脳と宇宙の構造は似ている......最新研究(『Newsweek』日本版)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/11/post-95038.php
ミクロとマクロの構造が酷似している。つまりは人間は星の一部であり、「ぼくたちは星でつくられている」し、さらには人間の内部にも宇宙が存在する。ぼくたちの中に宇宙がある。これ、悪くない考えだと思わない?
考え方ひとつで、自分の存在が、その見え方が変わってくる。それが科学だ。また、それは哲学にも当てはまる。科学とは相反する立場に見える哲学。最近、哲学と科学が密接になりつつあるように感じる。哲学者が想像した人間や宇宙や神といったものが、科学とそれほど離れた距離にはないのでは……といった意見が増えてきている。
いずれ、解明される日が来るのかどうか、それは誰にも分からない。もちろん、今日現在の話だけどね。
スキな3曲を熱く語る。
これで、おしまい。
この3曲に限らない話だが、スキと感じる曲にはひとつ、共通点がある。
ジャンルはバラバラ。洋楽とか邦楽とか、そんなちんたらとしたくくりは気にしていない。国籍なんてどうだっていい。どんな言語で歌っていてもいいし、ボーカルが入っていない曲も好んで聴く。時代もそうだ。昔の曲だっていいものがあるし、最近のだって、もちろんいい曲はいっぱいある。
スキな曲は自分にとってのステキな空間をつくってくれるもの。
それが唯一無二の共通点だ。だから、タイトルの『音楽がなければ人生は誤謬となる』には共感、いや、ものすごく共鳴している。
最後に、もうひとつ、調べていたらとてもいいニーチェの言葉を見つけたので、置いておく。
世界には君以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、問うてはならない。ひたすら進め。
はっきりとした出典は分からなかった。英語で検索してみても似たような言葉が出てくるけれど、ニーチェが残した言葉であるのかは不明のままだった。まあ、ニーチェが言ったことにしておこう。だれが言ったかは関係ない。ニーチェであっても、チャラいイタリア人でも、隣に住んでいるインド人でも、今春から幼稚園に通い出した小さな女の子でも、文章そのものが輝いているなら、誰がつくったものであってもその輝きが褪せることはない。そのはずだ。
音楽にも同じようなことが言える。自分のスキは誰かによって決められるものではない。自分が心地よければ、それが自分にとってのスキな曲だ。スキに理由なんて必要ない。ここに挙げた3曲にも言い訳たらしい文言は書かなかった。自分がスキ。それで充分だ。それだけで充分だ。心地よい曲に囲まれると、そこにステキな空間が生まれ出す。自分にとってのとってもステキな空間が広がっていく。それは誰にでも当てはまることだ。音楽を愛するすべての人に当てはまる。
そう、ぼくたちは音楽にステキな一瞬を求める。地球の表面にある小さな部屋でスキな曲たちを並べ、ヘッドホン、もしくは、近所に迷惑がかからないぐらいの音量で音楽を鳴らす。そうして、ぼくたちは自分の耳や皮膚を通して、多くのステキを自らの中へと流しこんでいるんだ。
これで、ホントの、
おしまい
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この3曲で最も聴いたのはMoby。「We Are All Made of Stars」が収録されたアルバム『18』とその前にリリースした『Play』は一時期、バカみたいに聴いていた。
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ルイ・アームストロングはベスト盤を持ってた。でも、一番スキなアルバムはエラ・フィッツジェラルドと共演した『Ella and Louis(エラ・アンド・ルイ)』。超を3回ぐらい重ねたくなるぐらいの、超超超名盤だと思う。
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スキな3曲を熱く語るってハッシュタグ。音声コンテンツ制作・配信アプリAnchorでSpotifyを使える、かなり胸熱なサービスだ。早速、Anchorに登録した。結構、簡単に出来そうなので、やってみようかと思っている。だって、面白そうだし。
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ヘッダーは、みんなのギャラリーから選んだ。哲学の道の写真だ。銀閣寺の手前から哲学の道に入り、永観堂まで南下していって、そこから蹴上のインクラインへ。京都観光にはおすすめのお散歩コースだ。
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ニーチェがどこから出てきたのか?
もしかしたら、最後の最後にこの曲を貼りたいがためだけに選んだような気がする。歌詞に、ニーチェは出てこない。というか、歌詞がほとんどない。ニーチェって言葉があるのはタイトルだけ。4曲目は反則? まあ、許したまえ。
それじゃ、
バイ、バーイ♪