こちらで読めます。
φは「ファイ」と読む。
数学の記号としてよく使われる。
この文章は近未来SF、ものすごくありがちな設定のSFを書こうと思って、各章に数学記号(特に集合)を使ったのだ。
もう一度、書き直してみたいと思えなかったので、インターネットに捨てることにした。
小説の投稿サイトって、それでデビューした人も大勢いるし、なんならヒット作を飛ばした人も少なくないことは十二分承知している。でも、それでも、インターネットに自分の書いた文章をアップする行為は「捨てる」に近いと感じている。
ちまたにある小説投稿サイトへ触手が伸びない理由はいくつかある。
ひとつは小説を書いた人があまりにも推敲という行為を疎かにしていると感じられるからだ。自分がつくった文章を誰かに読んで欲しい、その気持ちは理解できる。でも、読み手の反応ばかり気にしているのは本末転倒じゃない?
文章を考えてキーボードで打って、そんな時間より、ああでもないこうでもないと推敲している時間の方が圧倒的に長くかかると思っている。実際、自分はそちらの部類だ。
だって、文章書くの、ものすごくヘタクソだって自覚あるもん。
少しでも自らの承認欲求を満たすようなコメントを求めるがあまり、推敲がおざなりにされている。そう感じてしまうのよ。最も重要なのは自分が納得できる形に仕上げること。完璧な文章なんて、村上春樹さんの冒頭じゃないけれど、存在しないのかもしれない。それでも、その時点の自分が出来る限りで、助走なんて付けずに立ち幅跳びして遠くへジャンプする。そういう心構えが大切なんだと思っている。
ちなみに、いまここで書いているような文章はよほどのことがない限り、推敲しない。たまに間違いを指摘されたりするけど、ああ、間違えた!ごめんなさい!と訂正するだけだ。
そういった点からすると、ブログはライブだと認識しているのかもしれない。
音楽スタジオにこもって、入念に何度もレコーディングのテイクを重ねて、あらゆる角度からバランスよくミックスするのが「小説を書いている」状態に近い。
なので、ブログはライブハウスでの演奏に近い。ジャズやブルースの即興演奏っぽい思考回路で文章を打っている。頭のなかにドラムやベースやピアノやギターが鳴っていて、勝手気ままに音を出している。で、あるとき、曲のキーやジャンル、それに方向性なんかが定まっていってその場その場での音を奏でる。
そんな感じ。
>>>>>
「φ」のBGMはThrobbing Gristle 「What A Day」
>>>>>
Throbbing Gristleって、音楽性とジャケットのギャップがいいのよ。
>>>>>>
Throbbing Gristleといえば、中原昌也。
むかし、なにかの雑誌で、ひたすらThrobbing Gristleネタの長文を書いていて、「この人、頭、逝ってる(褒め言葉)」と思った。その後、文壇デビューするとは想像もしなかった。いや、この人を受け入れた文壇に希望を持ったよ。
>>>>>>
Throbbing Gristleといえば、時代的にもジャンル的にもノーウェイヴあたりと密接なイメージがある。決して、どこかとかなにかに混ざるようなバンドではなかったけれどね。ノーウェイヴはあまり深くは通ってなくて、軽く触れるくらいだった。雰囲気は嫌いではないのだけどね。バンドとしてはDNAのギタリスト、アート・リンゼイが好きかな。アート・リンゼイが絡んだバンドなら、最もポップ(?)なAmbitious Loversをよく聴いてた。
なんだ、超まともなギターも弾けるんだって思った。